16式機動戦闘車の射撃訓練・陸上自衛隊 岩手駐屯地 第9偵察戦闘大隊

取材協力:陸上自衛隊 岩手駐屯地
取材した人:西澤丞
はじめに
74式戦車が退役する前に、射撃競技会の様子を撮影させてもらったことがある。ただ、その時は、諸般の事情により記事としてまとめることができなかった。その後、74式戦車に代わって16式機動戦闘車が配備されたので、改めて陸上自衛隊の戦闘車両のひとつを記事化しようと思い、取材をお願いした。
さて、昨今、ネット上では「その写真、許可をとったの?」と話題になることが多いので、この記事を書き出す前にちょっと説明をしておこう。まず、このウェブサイトに掲載している記事は、全て取材先さまから許可を得た上で取材している。写真に関しては、取材先に確認していただいた後、NGの写真を消去するとともに、使うあてのない写真も全て消去している。文章についても、事実関係や名称を間違えて伝えることのないように確認していただいている。
前置きが長くなってしまったが、自衛隊の記事を書くにあたって、機密に関して疑問を持つ読者もいらっしゃるだろうと思い、説明させてもらった。
16式機動戦闘車って、何?
10式戦車や90式戦車など、いわゆる戦車と16式機動戦闘車の違いは、ざっくり言ってしまえば、走行装置が履帯かタイヤかの違いだ。タイヤで走行するので、高速道路などを使って迅速な移動ができる。なお、16式機動戦闘車の仕様は以下の通りだ。(防衛省のウェブサイトより)

重量 26t
全長 8.45m
全幅 2.98m
全高 2.87m
乗員 4名
実際に見る16式機動戦闘車は、大きなタイヤが8個もあるので、車高が高く、数字以上に大きく見える。乗員は、車長、照準を合わせる砲手、操縦手、弾薬を砲に込める装填手の4人だ。砲塔のハッチから顔を出しているのは、車長と装填手。砲手は、車長の前方、下の方に位置しているとのこと。内部は秘密なので、具体的にどんなレイアウトになっているのかわからないんだけどね。
射撃訓練

演習場への移動
朝から始まる射撃訓練は、8時ちょうどに1発目の射撃ができるように進行する。僕は、射撃する前の移動の様子も撮りたかったので、6時頃に撮影ポイントに着いて、待ち構えることにした。16式機動戦闘車の特徴のひとつに機動力があるので、走行しているシーンをどうしても撮っておきたかったのだ。

ちなみに8時ぴったりに1発目の射撃を始めるのは、発砲して良いのが8時からであり、演習場を使いたい部隊がたくさんあるので、時間を有効に使うためだ。朝からの訓練でなければ、そこまでのこだわりはない。
朝の演習場はとても静かなので、エンジン音は遠くから聞こえる。音がするだけで姿が見えないというのは、かなり怖い。なお、16式機動戦闘車のエンジン音は、「ヒュルヒュル」といった音が目立つ独特なもの。

射撃の準備

演習場に着いて最初に始まった作業は「ボアサイト」と呼ばれる、照準を正確にするための作業だ。砲身の先に機材を取り付け、車外にいる車長と車内にいる砲手がやり取りをしながら、砲の調整をする。調整が済んだら、砲弾を積み込み、全体でのミーティングをし、射撃ポイントへの移動となる。


射撃訓練の時は、砲塔の上に旗が掲げられている。緑の旗が上がっている時は、砲に弾が込められていない状態。赤は、込められている状態。黄色の時は、何かしらのトラブルが発生している状態だ。なお、射撃の前は、ヘルメットに青い布を巻いた安全管理者が弾の装填に立ち会い、安全を確認する。乗員との二重チェックってことだ。
発砲すると土埃が舞い上がるので、自分の撃った弾が目標に当たったかどうか確認できないこともある。そんな時は、隣にいる車両に確認してもらう。同様に、何台か並んで撃つ時は、視界不良にならないように、風下にいる車両から射撃を始めることもある。
また、射撃の直前には、目標の位置や種類、弾の種類などの伝達があり、最後に「撃て!」と号令が掛かる。これらの号令は、スピーカーを通して僕にも聞こえていて、それを目安にシャッターを切る。ただ、素人には何を言っているのか聞き取りにくいので、これがなかなか難しい。



一通り射撃が終わったら薬莢の排出だ。砲弾も機関銃弾も、積み込んだ時の数と薬莢の数をきちんと数える。砲弾の薬莢は大きいので無くなることはないと思うが、機銃の薬莢は車内の隅なんかに転がったら探すのに時間がかかりそうだ。ちなみに砲から排出されたばかりの薬莢はとても熱いので、しばらくは床に転がしておいて、冷めてから弾が入っていた場所に収納する。薬莢はかなり大きいので、これがゴロゴロ転がっていたら、邪魔くさそうだ。

この日は、予定されていた訓練が順調に進んだため、持ってきた弾薬に余裕が生じた。そこで、4両のうちの1両に、残りの弾を積んで錬成訓練が行われた。16式機動戦闘車は、砲塔までの高さがあるので、積み込みが大変そうだ。なお、この車両は最新鋭なので、弾の積載数や種類をはじめ、あらゆることが機密だ。

全ての弾を打ち終わった後に、弾を使わないスラローム射撃の訓練が始まった。僕の撮影位置からでは、砲身の上下動を見ることができなかったので、その点がちょっと残念だ。きっと、車体の動きに合わせて砲身が器用に動いていたのだろう。
また、今回は日中の訓練だったけれど、夜間に訓練をすることもある。そんな時は、ウインカーやブレーキランプを板で塞ぎ、ランプ類の上に付いている丸い機器を使う。灯火管制が厳しい時には、光を出すものを全て消して行動することもあるという。タバコの火でさえ2キロくらいの遠くから見えることがあるそうなので、細心の注意が必要だ。

この日。訓練の準備は、何時から行われていたのだろう。僕が最初の撮影ポイントに着いたのが6時頃だったので、出発の準備はもっと早くから行われていたはずだ。そんな射撃訓練も、10時くらいにようやく終わった。



射撃訓練が終わっても、仕事が終わったわけじゃない。駐車場に戻ったら、アンテナを取り外し、砲身の清掃が行われる。砲身の清掃は、先端にブラシのついた棒を砲身に入れてゴシゴシする。この作業をしている時は、射撃訓練の時の厳しい表情と違い、なぜかみんな笑顔で楽しそうだ。なお、砲身の整備には、三日掛かる。1日目、汚れを浮かすために油を塗る。2日目、汚れの除去。3日目、仕上げ清掃。

参加した4両のうち1両は、整備に備えて洗車されていた。砲身の清掃でも感じたが、車両を常に使える状態に保つのは、大変なことのようだ。なんと言っても重量が26トンもあるからね。26トンって、コンパクトカーだったら26台分の重さだよ。
ちょっとだけ隊員さんにお話を聞いてみた

お話を聞かせてくれたのは、齋藤さん(左:入隊4年目)と宗像さん(右:入隊3年目)二人ともに陸士長という階級で装填手の仕事をしている。ちなみに、岩手駐屯地における女性の比率は1割ほどだ。
なぜ自衛隊に?
齋藤さん
「SNSなどで車両の動画を見て、かっこいいなって思いました。陸上自衛隊を選んだのは、駐屯地もたくさんあり、身近な存在だったからです。」
宗像さん
「幼稚園の時に東日本大震災があって、自衛隊が人のために働いているのを見て、かっこいいなと思いました。災害派遣とか国防とか、日本の平和を担う一員になりたいと思いました。」
なぜ、機動戦闘車に?
齋藤さんと宗像さん
「教育の時に職種紹介があり、その時に機甲科の職種に惹かれました。その後、戦車乗員として配属されたのですが、すぐに部隊の改編があり、岩手駐屯地に所属していた74式戦車が退役しました。16式機動戦闘車には乗ったことがなかったのですが、そのまま乗員として希望しました。」
なお、職種は適性を見て判断されるので、必ずしも希望が通るわけではない。二人は、希望と適性が合っていたんだろうね。

16式機動戦闘車の好きなところは?
齋藤さん
「火力です。」
宗像さん
「軽快な動き。音とともにスピードが増してゆく感じが好きです。」
仕事する上で気をつけていることとは?
齋藤さんと宗像さん
「一番大事なのは、コミュニケーションです。車両の中では役割があって、それぞれが連携しないとうまく動かせません。また、一人でも欠けるわけにはゆきませんから、怪我をしないように気をつけています。訓練する時は、どうやったら装填が早くなるのか、弾の持ち方や出し方を考えながらやっています。」

どんな自衛官を目指す?
齋藤さん
「当たり前のことを、当たり前にできるように。装填でも操縦でも、現場では当たり前にできることが求められますので。」
宗像さん
「まだまだ未熟なんですが、先輩方を超えられるように経験や知識を身につけて、自分が先輩たちに憧れるのと同じように、自分が後輩たちに憧れてもらえるような存在になりたいです。」
ちなみに、ステップアップの順序としては、装填手、操縦手、砲手、車長といった順番になっている。
自衛隊って、どんな感じ?
齋藤さん
「武器とか車両とか、民間では扱うことのできないもの、ここでしか触れないものがあって、そこが面白いと思います。」
宗像さん
「仲間意識が強いですし、責任感のある人が多くて活気もあるので、がんばろうって気持ちになれます。目標にできる先輩もいますし。」

おわりに
自衛隊の取材では、いつも同じことを書いている気がするんだけど、大事なことなので、何回でも書くよ。僕は、彼らの仕事が訓練だけで終わることを願っている。そして、そのために自分には何ができるのか、常に考えなければいけないんだと思う。
自衛隊に関しては、被写体やテーマを変えて何度も取材をしているし、これからも取材をするだろう。実際に現場で取材することの意味は、防衛が他人事ではなくなるからだ。何の問題でもそうだけど、他人事だと思っているうちは、真面目に考えたりしないからね。
写真と文、西澤丞。取材は、2025年6月に行いました。
