国産生糸は、生き残れるのか? 現役で稼働中の製糸工場を撮影しながらいだいた危機感。

繭から生糸を取り出す機械

碓氷製糸株式会社 群馬県安中市松井田町

はじめに

群馬県をドライブしていると、かつて蚕を飼育していたと思われる建物を見かけることが多い。また、桐生で織物工房を取材したこともあるので、絹に関わる産業が盛んだったことも知っている。ただ、富岡製糸場が「遺産」となっていることから、群馬県内に現役の製糸工場があるとは、思ってもいなかった。

碓氷製糸株式会社の外観
碓氷製糸さんの全景。周囲が緑に囲まれていることもあって、ちょっとしたタイムスリップ感がある。

今回、取材させていただいたのは、碓氷製糸株式会社。群馬県の西部で、隣は軽井沢といった地域。上信越自動車道の松井田インターチェンジ近くにある製糸工場だ。取材に行くまで知らなかったのだが、この工場は、生糸の全国シェアが6割にもなる工場だった。自分の住んでいる街の近くに現役の製糸工場があるだけでも驚いたのに、それが国内最大の工場だという予想外な展開で、さらに驚いた。

さて、シェアが6割と伺って、製糸産業の現状をもっと詳しく知りたくなり、農林水産省のウェブサイトで調べてみた。参考にした資料は、「蚕糸をめぐる事情 令和3年6月」だ。それによると、2020年時点で、日本国内に大きな機械を使って製糸を行っている工場は、2社しか存在しない。他には、手作業で製糸をしている小規模なところが、5箇所。また、輸入生糸が147トンであるのに対して、国産生糸の生産量は、12トンでしかない。つまり、国産生糸は、国内流通の7%でしかないのだ。生産量の推移に目を移すと、2000年では559トンだったのが、2020年には12トンまで落ち込んでいる。数字で見る限り、国産生糸が存続の瀬戸際に立たされているのは、間違いないようだ。

煮繭機
煮繭機。この機械の用途は、後ほど解説する。

国産生糸の生産工程

ここからは、生糸の生産工程を、順に見てゆこう。解説をしてくれたのは、工場長の今村幸文さん(70)。今村さんは、大学を卒業してからずっと製糸に関わってきた。以前は、埼玉の会社で同様の仕事をしていたが、26年前から今の会社で仕事をするようになった、生糸生産のエキスパートだ。人が暮らすのに重要な、衣食住の一つに関わりたいと思ったことから、衣に関わる分野に就職することを選んだという。

国産生糸の材料となる農家から運ばれてきた繭
運び込まれてきた繭。

荷受

蚕が繭を作る5月から10月くらいにかけて行われる。農家ごとに繭の品質を検査して、その品質のよって値段を決める。昔は、繭を運んできたトラックが、長い列を作っていたそうだ。

搬入された繭の検品作業、サンプル抽出
トラックから降ろして仮置場に運ぶ途中で、サンプルを取る。それぞれの袋から同じ量のサンプルを取って、偏りのないようにしている。
搬入された繭の検品作業、大きさの確認
繭の大きさを調べているところ。500グラム中に250個くらいの繭があると、扱いやすく、生糸の品質も良くなる。向こうのパレットに一個、空いているスペースがあるが、そこは、この写真を撮った後、きちんと埋められていた。

繭乾燥

繭の中には、蚕がいるので、そのままにしておくとサナギになった後、蛾となって出てきてしまう。それを防ぐために、機械を使って繭を乾燥させる。乾燥にかかる時間は、6時間ほどだ。

国内の農家から運ばれてきた繭を乾燥機に入れる様子
国内の農家から運ばれてきた繭を、乾燥機に繭を投入している様子。
碓氷製糸株式会社の仮置場に展示されていた繭を入れる袋
仮置場に展示されていた繭を入れる袋。昔は、多くの製糸工場があったようだ。
碓氷製糸株式会社にあった蚕の慰霊碑
敷地内には、蚕の慰霊碑があった。
碓氷製糸株式会社にあった繭の乾燥機
奥にあるのが、乾燥機。乾燥機からは、倉庫まで繭を運ぶためのベルトコンベアが伸びている。
乾燥機から出てきた繭
繭は、生産者ごとに分けて保管するため、境目では投入する間隔を空けている。

貯繭(ちょけん)

5月から10月までに入荷した繭は、倉庫に保管し、工場の通年稼働に備える。保管中は、虫が発生しないように数回の消毒を行う。

倉庫に投入されてゆく繭
人が入ると、服などについた虫が倉庫に入ってしまう可能性があるため、部外者の立ち入りは制限されている。今回は、取材ということで特別に入れてもらった。

選繭(せんけん)

乾燥後の繭から、不良な繭を取り除く作業。2匹の蚕が作った繭や汚れているもの、形のおかしなものを選び取る。外観では、わかりにくい場合もあるので、光に透かした状態にして取り除いてゆく。

繭の選別作業
手の動きが早いので、撮影は大変。

煮繭(しゃけん)

生糸を繋げている物質セリシンを、煮ることで柔らかくし、次の作業をやりやすくする。ただお湯で煮るだけではなく、20分ぐらいの工程の中で、40℃→95℃→75℃→100℃→常温といった具合に温度を変えている。温度調節は、繭、天気、湿度、時間、水質(硬度、ph)など、様々な要素を考慮しなければいけない上、1℃違うだけでも仕上がり影響するそうなので、さぞ悩ましいことだろう。今村さん曰く「理論も大事だが、勘も必要。」とのこと。

煮繭する機械の外観
煮繭は、この機械の中で行われる。
煮繭機に入ってゆく繭
煮繭機に入ってゆく繭。
煮繭機から出てきた繭
煮繭機から出てきた繭。

繰糸(そうし)

繭から糸口を見つけ、目的の太さになるように、何本かの糸をよりあわせる作業。糸の太さは、デニールという単位を使い、9000メートルで1グラムの糸が、1デニールの太さとなる。ここでは、21デニールくらいの糸を生産している。

繭から糸口を見つける機械
手間にある機械は、繭から糸口を見つける機械。先端がホウキのようになった部分が回転し、繭の表面から糸を絡め取る。最初は、何本かの糸だったものが、次第に一本の糸になってゆく。
国産生糸を作っている工場で使われている製糸用の機械
製糸に使っている機械は、こんな感じだ。富岡製糸場に置かれているものと、ほとんど同じもので、1975年ごろに製造された機械だ。メーカー名の書かれたプレートを見ると、「NISSAN」の文字が!トヨタ自動車が、自動織機から始まったように、昔の絹産業は、今の日本の産業とも深く関わっているようだ。
糸の太さを検出する装置
糸の太さを検出する装置。オレンジ色の部分で、太さを感知する。
製糸機の繭を補充する部分
繭を補充する部分。1箇所だけ、バーのようなものが、降りているのが分かるだろうか?機械が、足りなくなった繭を自動的に補充してくれる。しばらく見ていたが、仕組みはよく分からないままだった。考えた人、すごいぞ。
国産生糸を生産している現場の様子
糸が切れたりするトラブルがあった時は、人が対応する。側面に「日産自動車」のプレートが貼ってある。

揚返し(あげかえし)

繰糸の工程で巻き取られた糸は、水分を含んでいるので、ここで乾燥させる。品質を維持するため、水分量を11%に調整するのだ。また、同時に、検品をしたり、大きな枠への巻き替えも行う。巻き替えは、後で取り扱いをしやすくするために行う。

揚げ返しに使う機械
通路に積んであるドラムが、繰糸の工程からも持ってきた生糸。青いカバーの中で、乾燥と巻き替えが行われている。
国産生糸の出荷準備
ドラムをセットしようとしているところ。この機械にもセンサーが付いていて、糸が部分的に太くなって節のようになっている部分があれば、教えてくれる。節は、取り除く。
力糸(あみそ)と呼ばれる作業。糸がバラバラにならないように、ある程度の束にして、糸で結ぶ。また、最初と最後の糸口を結んで、絡まないようにする。
巻き終わった糸を、枠から外しているところ。この後、糸は束の状態で扱われる。
これは、チーズ巻きという工程。束ではなく、ボビンに巻いて出荷する場合には、この作業を行う。

仕上げ・出荷

出来上がった国産生糸は、束にした上でねじり、さらにいくつかを束ね、箱に詰めて出荷する。

出来上がった国産生糸を出荷する様子
束を圧縮して、ひとまとまりにしている様子。
国産生糸の束、軽量の様子
圧縮された後の生糸の束。大きな束ふたつで10kgくらいだ。
国産生糸の束を箱詰めする様子
大きな束を、六つ入れて出荷される。段ボール箱一つで、30kgってことだから、かなりの重さだ。

碓氷製糸株式会社の成り立ちと生糸を取り巻く状況について

ここからは、生糸業界の話や碓氷製糸さんに関することを聞いてみた。答えてくれたのは、安藤俊幸さん(71才)。安藤さんは、農協などで蚕を育てる分野の仕事を長年してきて、今年(2021年)の4月から碓氷製糸で働き始めた。最初に碓氷製糸のシェアが6割だと教えてくれた人だ。

まずは、碓氷製糸株式会社について。元々は、東邦製糸株式会社という会社が所有していた設備群を、1959年に設立された碓氷製糸農業協同組合が買い取り、それが、組織変更して今の碓氷製糸株式会社となった。農協のままでは、地元以外の繭を扱う量に制限があったため、株式会社にしたのだ。現在では、全国各地の繭を扱っている。

国産生糸を取り巻く環境は、どんな感じなんだろうか。先も書いたように、国内の生糸の取扱量のうち、国産のものは、7%くらいしかない。生糸を輸入している先は、中国とブラジルが中心だ。ブラジルでの生産は、移民でブラジルに渡った人たちが現地で始め、それが今も続いているとのこと。一方、国産の生糸は、全てが国内向けとなっていて、輸出されることはない。輸入品と国産との品質の違いがあまりなく、値段だけが違う状態になっているのが、問題のようだ。

緒糸
糸口を見つける時に発生する緒糸(ちょし)は、生糸には使えないので、不純物を取り除いてタオルなどに活用している。

碓氷製糸の今後について

工程を説明してくれた今村さんは、インタビューの最後に

「仕事を続けているのは、誇りと責任。いい糸を作ることが、国産生糸を絶やさないことに繋がると信じている。」

と話をしてくれた。また、ただ存続させるだけではなく、海外に輸出する可能性も探っているという。実は、数年前、誰でも名前を知っている海外の衣料品メーカーから取引の打診があったのだが、必要とされた生産量が多すぎて対応できなかったという経験がある。幸か不幸か、世界の賃金が上がっている中で、日本の賃金は下がっているので、輸出に関しては、可能性が高くなって来ていると思う。

安藤さんは、どのように考えているのだろう。

「糸を作るだけでは、もたないと思っています。事業を継続させるためには、生糸を作ること以外に、収益の柱を見つけていかなければいけない。今は、生糸を生かした製品を売ることも、柱の一つにしています。」

碓氷製糸さんが作っているタオルなどの絹製品は、群馬県内の土産物店で取り扱われているほか、碓氷製糸さんのウェブサイト経由で購入出来るようになっている。碓氷製糸さんのウェブサイトには、製品の情報も載っているので、興味があったら見てほしい。また、将来の展望として、この工場に人が集まれるような活動や空いているスペースで新たな事業を起こすことも考えているそうだ。目の前のことと将来に向けてのこと。安藤さんの頭の中には、やらなければいけないことが、山のようにあるようだ。

「会社の5年後、10年後を、どう考えるのか。それは、もう時間がありません。ここが無くなるということは、養蚕(蚕を育てる農家さん)も全部なくなるってことですから。」

国産生糸を作っている人
工程を説明してくれた今村さん。
会社や製糸業界の状況を説明してくれた安藤さん。

おわりに

国産の絹製品がなくなったとしても、生活に困ることはないかもしれない。しかし、純国産の着物や帯が無くなることを、日本人としてどう感じるのか。一度なくなってしまった技術や人を取り戻すのは、容易ではない。行動を起こすのであれば、今しかない。

幸い、碓氷製糸さんは、外部からアイディアや意見を受け入れることに否定的ではないので、国産生糸の危機的な状況を知ってくださった人の中から、我こそは、と思う人が出てきてくれることを切に願う。見学可能なので、まずは、見学からでもいいと思う。

写真と文 西澤丞 インタビューは、2021年6月に行いました。