乳牛専門の獣医さん。その現場にお邪魔した。

乳牛専門の獣医さん

取材対象:有限会社ROMデーリーアシスト 群馬県高崎市吉井町
撮影地:有限会社アラトデイリーファーム 群馬県前橋市

はじめに

どこか懐かしさを感じる匂いが漂う中、飼料を運ぶための重機が、せわしなく走り回る。カメラを構える僕に、「お前、誰?」とでも言いたげに視線を送ってくる沢山の目。ひょんなことから乳牛専門の獣医さんと知り合いになったが、どんな仕事をしているのか想像できなかったので、現場に同行させてもらった。

今回、取材させていただいたのは、有限会社ROMデーリーアシスト代表の芦沢博道さん(62) 現場は、群馬県前橋市にある有限会社アラトデイリーファームという農場だ。

乳牛の牛舎内

乳牛専門の獣医さんの仕事の内容は?

まずは、ざっくりとした仕事の内容を教えてもらった。

「乳牛の健康管理を行なっています。人間で言えば人間ドックのような定期健診をするのが主な仕事です。それから、獣医としての仕事だけではなく、牛乳の生産性を高めるために、様々なアドバイスやサポートも行なっています。」

一般的な農場では、必要な時だけ獣医さんに来てもらっているのに対し、芦沢さんが依頼を受けている農場では、芦沢さんが定期的に通って獣医の仕事をしつつ、農場に対して生産性を上げるためのコンサルティングも行なっているのだ。芦沢さんを必要としている農場は、西は愛媛県、北は岩手県までの広い範囲にあり、近くの農場なら毎週行き、遠くの農場であれば、月に一度くらいのペースで出向いているとのこと。遠い場所がある上に、25軒ほどから依頼を受けているので、日程は、かなりハードだ。

搾乳の様子を見守る獣医
現地で最初に撮ったカット。搾乳の効率が良いかどうか、また、牛の追い方が、ストレスのかからない追い方になっているかどうかを、チェックしている芦沢さん。

コンサルティングに関しては、牛舎を建てる時のレイアウトなどでもアドバイスを行なっている。重視しているのは、換気装置や動線、そして牛がストレスなく過ごせるかどうかといった点。換気装置に関しては、常に新鮮な外気を大量に牛舎に入れる設備が必要となる。牛は、草を消化するためにも、牛乳を作るためにも、大量に酸素を消費する。しかし、肺はそれほど大きくない。よって、常に新鮮な空気を必要とするのだ。動線については、作業効率を高める意味もあるが、牛がストレスを感じないレイアウトにすることが重要だ。牛は、のんびりしているように見えて、実は、集団の中の序列がしっかり決まっている。もし、通路に袋小路のような場所があると、そこに入ってしまった弱い牛が、強い牛に遠慮して外に出られなくなってしまう。このようなことがあると、牛のストレスとなって、牛乳の生産量が落ちてしまうのだ。また、牛の休む場所の確保や歩きやすさにも、配慮しなければいけない。牛にとって快適な環境を作ることが、生産量の増加につながるのだ。

換気装置が備え付けられた牛舎
こちらの牛舎には、天井近くに送気用のダクトが備え付けられている。ダクトに小さな穴が開けてあり、そこから柔らかな風が子牛に届くようになっている。子牛に強い風があたってしまうと冬は寒くなってしまうので、穴の大きさや間隔は、緻密に計算されている。
子牛専用の牛舎
子牛が育てられている牛舎。この写真を撮影したのは、朝7時くらいだったため、保温用のライトが点いていた。また、子牛は免疫力が弱いので、他の牛と直接触れ合わないように仕切りが設けられている。

牛のえさについて

撮影時にえさを見ていたら、干し草だけでは、なさそうだったので、えさについて聞いてみた。

「えさは、牧草が中心ですが、同じところから買っても季節などによってばらつきがありますので、トウモロコシや大豆カスなどを加えています。草には、乾燥させたものと発酵させたものがあって、発酵させたものは、農場が自前で作ることが多く、乾燥させたものは、買ってくる場合が多いです。北海道のように広い土地があれば、両方とも自前で作っているところもあります。また、栄養価の低い草の場合は、穀物を増やしますが、そうすると酸性の度合いが高くなってしまいますので、重曹を加えたりして調整します。酸性の度合いが高くなると、牛の胃の中の菌が死んでしまうからです。牛は、草を胃液で消化しているのではなく、胃の中の菌が分解してくれているんです。ただ、重曹を入れると、えさがまずくなってしまうので、出来るだけ少ない量にしています。」

乳牛の餌をチェックする獣医
目視で、えさをチェックする芦沢さん。目視で大体の栄養価がわかる!分析もするけど、それと合致しているかどうかの確認をしていたのだ。
乳牛の餌
この農場では、アメリカ、カナダ、イタリアなどから輸入した牧草を使っている。牧草をカットする長さや切り口の鋭利さも重要なポイント。切り口が鋭利な方が、消化に良い飼料となる。トウモロコシなどは、この写真でも確認できる。
乳牛の餌となる牧草をカットする機械
赤色の機械は、飼料となる牧草をカットし、トウモロコシなどと混ぜるための機械。

牛は、1日あたり平均で30〜35リットルくらいの牛乳を出すので、食べる餌の量も多く、水分を除いて、1日あたり22〜25キログラムくらいのえさを食べる。また、えさを配る時間は、決まっているが、えさは、常にえさ場にある。牛が「えさがなくなっちゃうかも」と考えると、一度に大量のえさを食べてしまって、消化不良を起こすからだ。消化不良を起こすと牛乳が少なくなってしまうし、病気になってしまうこともあるので、えさは、内容に関しても、与え方に関しても注意が必要だ。

耳に識別用のタグを付けた牛
牛の耳には、10桁の数字とバーコードが記入されたタグが付けられていて、個体を識別できるようになっている。
乳牛の健康状態をチェックする獣医
同じ牛を、前と後ろからチェックする。前から見ている時は、耳に付いているタグで番号を見つつ、元気にえさを食べているかどうかの確認をする。
乳牛の健康状態をチェックする獣医
後ろから見ている時は、太り具合のチェック。太りすぎていても、痩せすぎていてもダメ。

子宮の状態を調べる

牛は、子どもを産まないとお乳を出さないので、定期的に授精させる必要がある。授精させる作業は、別の人が行なっているが、受胎したかどうかの確認や子宮の観察は、芦沢さんが行なっている。超音波画像診断器を、牛の肛門に入れて、エコーの画像で判断するのだ。この日は、50頭くらいの牛を、三人で手分けして行なっていた。

超音波画像診断器を使って乳牛の子宮を確認する獣医
超音波画像診断器の先端を手に持って、肛門に差し込み、子宮の状態を確認しているところ。昔は、手探りで確認していたが、2000年くらいからこの機器を使うようなり、正確性とスピードが格段に向上した。ただ、慣れないうちは、変に力が入ってしまって腱鞘炎になったこともあったそうだ。
超音波画像診断器
芦沢さんが使っている超音波画像診断器。右手で持っているのが、超音波を送受信する部分。左手で持っているのはゴーグルで、エコーの画像は、このゴーグルに投影される。
3人の乳牛専門の獣医
この日の作業は、三人体制。左から、芦沢さん、芦沢さんの奥様のめぐみさん、手伝いに来てもらっている株式会社COWOXの浜田咲さん。
農場の人と一緒に仕事をする獣医
牛舎の外に立っているのは、農場を運営している野口さん。野口さんが、牛の前に立って番号を確認し、後ろで芦沢さんたちが牛のチェックをする。チェックが終わったら、内容を野口さんが記録するという役割分担になっている
超音波画像診断器に表示された子宮の様子
浜田さんの使っている機器は、モニターを肩からぶら下げるタイプのものだったので、エコーの画像を見せてもらったが、素人には、ちんぷんかんぷん。
診断の準備をする獣医
肛門に手を入れる時は、このようなビニール袋をつけた状態で行う。病気の感染を防ぐために、1頭検査するごとにビニール袋を取り替える。
牛舎の中にあった堆肥の山
牛舎の中央には、牛のふんとオガクズを混ぜたものが、山のように積まれている。これは、農家さんに堆肥として出荷されるもので、発酵させるためには、ある程度の高さに積んでおく必要があるとのこと。

なぜ、獣医に?しかも、乳牛専門?

獣医といえば、まず動物病院の獣医を思い浮かべるので、なぜ乳牛専門の道を選んだのか、聞いてみた。

「子どもの頃は、親がやってた電気工事の仕事を継ぐのかなあって、思ってたんですけど、東京の新宿で育ったんで、田舎に憧れがあったんです。それに動物が好きだったので、大学は獣医学部を選びました。その大学時代に牛と接する機会があって、牛、面白いなあって思ったんです。」

学校を卒業してから9年間は、農業団体に所属し、その後、2年間、開業医の獣医さんの元で仕事をしてから独立した。芦沢さんの仕事は、いわゆる獣医師としての仕事の範疇から外れる部分が多く、覚えることが多岐にわたるため、今でも常に勉強しているという。後継者の育成に関しては、お手伝いに来ていた浜田さんのような外部の会社の人に、少しずつ仕事を移譲しようと考えているそうだ。浜田さんは、現場に出て3年目の若い人なので、希望の星なのかもしれない。ちなみに、畜産の獣医さんは、人手不足。獣医学部に入る学生の多くが、小動物を対象とした動物病院の先生になることを希望しているからだ。

餌を食べる乳牛たち
飼料は、重機(ホイールローダー)で運ばれてくる。重機の運転手は、牛が食べやすい位置に飼料を寄せるところまで行う。バスケットを下げて、かなりのスピードで、ガーって感じ。早い、早い。
長靴の清掃をする乳牛専門の獣医
作業が終わった後は、長靴を清掃して服を着替える。長靴は、農場ごとに置いてあるそうだ。
乳牛専門の獣医さん
取材させていただいた芦沢さん。アメリカの学会に参加したり、農場の視察にも行き、情報の収集に余念がない。

おわりに

勉強に終わりがないという芦沢さんは、事情が違うそれぞれの農場に対して適切なアドバイスをすることが難しく、提案が思ったような成果を上げた時が一番うれしいと話してくれた。

相手は生き物だし、世の中の事情も刻々と変わってきているので、確かに勉強には、終わりがないのかもしれない。そして、これは、芦沢さんの仕事に限ったことではなく、自覚しているかどうかが違うだけで、全ての仕事に通じることかもしれないと感じた。

写真と文、西澤丞 インタビューは、2021年10月に行いました。